ベトナムのニャチャン訪問後、
男とK氏はカンボジアの首都、
プノンペンに向かった。
東南アジア最長の長さを誇るメコン川。
この河口に、木材を運ぶための新たな港を建設する
記念式典が開かれることになっており、
その式典に招待されたためだった。
(カンボジアはあの時以来かー。)
男はかつて一度だけカンボジアを
訪問したことがある。
まだ20代の会社員時代に、
有給を使ってアンコールワットに行った。
まだ海外経験が殆ど無かった男にとって、
海外は未知の世界。
当時、旅行好きだった会社の同僚に聞いたところ、
インド、タイのアユタヤ、カンボジアの
アンコールワットを薦められた。
インドはさすがにハード過ぎる旅
になると思ったため、
アユタヤとアンコールワットを
はしごすることに決めた。
まずアユタヤで寺巡りをした後、
戦時中に日本軍が進行し基地を作ったと言われている
タイ西部のカンチャナブリを訪問。
その後、陸路でアンコールワットへ
向かうことにした。
理由は、飛行機だと片道4万円以上かかるところ、
陸路だと1万円程度で行ける、ということが
判明したからだった。
当時、独立起業する前でなるべく節約したかった
男は、迷わず陸路を選択した。
3日間お世話になった安宿の
親父に礼を言い、男はバンコクを後にした。
親父からは、陸路はかなり危険だと
言われていたけれど、
男は勇気を出して行くことにした。
まず、三輪バイクで国境まで行ける
バスターミナルに到着。
日本から買ってきたガイドマップを片手に、
片言の英語で、どのバスに乗れば良いかを確認。
一応バス停の場所がわかったので、
片道キップを購入。
バスが来たので乗り込む。
バスには日本人どころか、
観光客すら乗っていない様子で、
男は不安になった。
バス停が来るたびに、
人がどんどん降りていく。
ようやく終点の国境付近にたどり着いた。
バスの乗客は、男と地元の住民らしい
現地人が1人。
しかもバス停には街灯も無く、
あたりは真っ暗だった。
するとバス停に停まっていた三輪バイクの男が、
近寄ってきた。
三輪バイクの男:
『HOTEL?』
男は当初、バス停で夜を明かそうと思っていたが、
さすがに野宿できる雰囲気でもない。
大人しく、ホテルに泊まることにした。
三輪バイクの男に連れてこられたのは、
やはり安宿。
バンコク市内では1泊2,000円程度で
停まることができていたが、
この宿はそれよりも高かった。
古びた部屋の中はとてもホテルと
呼べるようなものではなく、
ヤモリのような生き物が
壁の上のほうを貼っているのを見つけて、
一瞬ゾッとしたが見ないふりをした。
男はさっとシャワーだけ浴びて、
翌日からの旅に備えることにした。
翌日ー。
早朝、男は足早に宿を後にする。
素泊まりなので朝食も無い。
また三輪バイクを捕まえて、
アンコールワット行きのバスの
乗り場に行くことにした。
タイの国境からアンコールワットへは、
陸路で9時間ほどかかるという。
夜は危険なため、
アンコールワット行きのバスは、
朝一番にしか出ていないのだった。
男はようやくバス乗り場に来た。
客は男以外に、若い白人のカップルが来ていた。
案内された車はバスではなく、
ミニバンだった。
どうやら、旅行会社が企画している旅のようだ。
男は英語がわからなかったので、
カップルが何を話しているのか、
一切わからなかった。
陸路、といっても、
全く舗装されておらず、道はかなりデコボコ。
乗り心地は最悪で、
普段乗り物酔いしないさすがの男にとっても、
かなりこたえた。
途中、何度も橋を渡ったが、
コンクリートの橋は殆ど無く、
赤錆びた鉄でできた橋や、
丸太でできた橋もあった。
当然ながら、車が橋から落ちるのを防ぐ
ガードレールなど一切無い。
まるで映画『インディージョーンズ』
を彷彿とさせる風景だった。
男は車の中から橋の下を見るたび、
運転手がハンドル操作を誤って
落下しないか、心配になった。
出発して4時間ほど経過した頃ー。
ミニバスから降りるよう、
運転手から指示された。
(何事だろうか?)
と男は不安になった。
外の路上には、
現地人と思われる人達が大勢、
道端に座っていた。
ざっと見ただけでも、
100人以上はいる。
その現地人達の視線を感じながら、
運転手について歩いていく。
男と白人カップルは、
その現場で明らかに異質な存在だった。
(いつかこの人達に襲われて、
身ぐるみ剥がされないだろうか?)
と不安になった。
路上にはずっと車の行列ができている。
運転手はどんどん前へと進んでいく。
男はようやく、車を降りた意味を理解した。
なんと、橋が壊れて、
車が進めなくなっていたのだ。
男は運転手の後をついて橋を渡る。
すると、橋の向こうにまた別の
ミニバスが停まっていた。
運転手に、この車に乗るよう指示された。
ここからはこの車で行くようだ。
この運転手は、橋が壊れていることを
予め知っていた様子だった。
ということは。
橋の手前で停車していた車は、
橋が修復されるまであそこで待っている
つもりだったのだろうか?
道の脇にただ見物人のように座っていた人達は、
どこから来たのだろうか?
周辺には住居らしきものは見当たらなかった。
あの光景は、男にとってかなり謎だらけだった。。
ようやく、アンコールワットが近づいてきた。
途中、車が燃料補給のためにある場所に停まった。
きちんとしたガソリンスタンドではなく、
運転手は燃料タンクから手作業で
ガソリンを給油していた。
その間、現地人と思われる子ども達が、
車の窓のところに寄ってきて、
しきりにコーラやスプライトを売りつけてきた。
金額は1本1ドル。
子どもたちは、
「コンニチハ!」「アリガトウ!」
と日本語を連呼していた。
その光景を見て、男は複雑な気持ちになった。
戦時中、日本軍が侵略した国々で、
強制的に日本語を教えたと言われているが、
その名残を感じたからだ。
男は1本だけ、スプライトを購入した。
これで彼らの1週間分くらいの生活費になるだろうか?
ミニバスは予定よりも2時間も遅れ、
19時過ぎにアンコールワットに到着。
こうして男の陸路の旅は終わった。
アンコールワットはとても素晴らしく、
男は持ってきたSONYのCyberShotで、
写真をかなり撮りまくった。
日本への帰国便はバンコク発だったので、
再びアンコールワットからバンコクに
戻る必要があった。
男は行きの陸路があまりにもハードだったので、
帰りは大人しく飛行機を使うことにした。
アンコールワットの空港で、
珍しく日本人女性の係員がいて、声をかけられた。
男は行きの陸路の話をしたところ、
日本人女性は、
『よくあんなに危険なルートで来られましたね。』
と驚かれていた。
まだ独身で好奇心旺盛だったからできたものの、
確かに、今思い出しても、あれはかなり無謀な
選択だったかもしれない。
ー
あれから7年が経過し、
男は再びカンボジアに戻ってきた。
プノンペンに到着すると、
案内人の方が市内を案内してくれた。
男が想像していたよりも、
街の中心部はかなり発展しており、
日本料理のレストランも沢山あった。
街中にもレクサスの大型SUVが沢山走っている。
プノンペンの高級住宅街にも案内してもらった。
アメリカのビバリーヒルズを彷彿とさせる、
超豪邸が立ち並んでいる。
1軒あたり2億円は下らないとか。
カンボジアの物価で2億円なので、
日本の価値に換算すると10億円以上はありそうだ。
男はこの頃ようやく、
東南アジアの魅力が理解できるようになってきた。
どこに行っても殆どゴミ一つなく、
清潔な日本に慣れ親しんでいると、
確かに街のいたるところに放置されているゴミや
治安の悪いエリアが気になり、
どうしても最初は抵抗感を感じてしまう。
ところが、普段の生活において、
そういった「危険地帯」にさえ立ち寄らなければ
気にならないし、東京の中心部ような25平米程度
のワンルームマンションぐらいの料金で、
4LDK以上のプール付きの家に住める。
さらには1〜2万円程度で掃除や料理をしてくれる
お手伝いさんを雇うこともできる。
この、王様・女王様のような
優雅な生活ができるところが
東南アジアの魅力だということが、
ようやくわかってきた。
さらには、正直、『発展途上故国』
と見下していたところがあるけれど、
2億円は下らない豪邸に住んでいる人達は、
明らかに自分たちよりもお金持ちだ。
「世界を知らなかった」自分自身が、
とても恥ずかしく思えた。
ちなみに、東南アジアに海外赴任する
いわゆる「駐在員」の奥様達は、
二度泣くと言われている。
一度目は、海外駐在が決まった時。
やはり男と同じように、
「不清潔で不便で快適でない生活を
しなければならない」
という固定概念が強いためだ。
二度目は、駐在が終了して日本に戻る時。
掃除や洗濯をしてくれるお手伝いさん付き、
専属の運転手付き、
さらには海外勤務の様々な苦労をねぎらうための
「お手当て」付き(つまり、旦那様の給料が上がる)
生活に慣れてしまい、日本に戻ったらまた
家事を全て自分がしなければならないと思うと、
泣けてくるような気持ちになるという。
そんな話を聞きながら、
男は東南アジアの魅力を肌で感じるように
なっていた。
プノンペン市内では、
・1ヶ月2万円程度という格安の人件費を活かし、
日本の顧客にSEOサービスを提供する会社
・カンボジアで初の株式市場のオープンに先立ち、
上場が予定されている国内最大の電話会社
・価値が急上昇しているエリアの
不動産の視察
・北朝鮮が直接運営する、朝鮮料理のレストラン
などなど、実に興味深いイベントで
盛り沢山だった。
プノンペン滞在中の宿泊先は、
市内で数少ない5つ星ホテル『ナガワールド』。
正式名称は
「NagaWorld Hotel & Entertainment Complex」
ここはプノンペンで唯一のカジノ付きのホテルで、
700部屋の客室、カンボジア最大のカジノ施設、
レストランやショッピングモールなど、
充実のエンターテイメントが揃っている。
ホテルの中に入ると、まるで遊園地のように、
紫やピンクの照明がきらびやかに輝いている。
K氏はチェックインするや否や、
スロットマシンやルーレットに興じていた。
そして記念式典当日。
メコン川河口付近に臨時的な会場が建設され、
人々が集まっている。
建設といっても、河川敷を少し平らにして、
鉄の棒とロープで席の配置を区切ってある、
日本の花火大会の時のような簡易的なものだった。
男とK氏の一団はかなり早く着いたため、
人々が集まってくるのを観察することができた。
次から次に、例の黒塗りのレクサスのSUVが、
会場に入ってくる。
数にすると、何十台も通過しただろうか。
(この人達はどんな身分の人達なんだろう・・・。)
こんな光景は日本でも見たことがない。
そして、式典が始まった。
男達が案内され座っていた席は、
なんと国の要人たちが座っているエリアで、
参加者達と向い合わせになっていた。
なんと、フン・セン首相の席まで、
わずか10mという距離だった。
(どうりでこんなにセキュリティーが厳しかったのか。。)
このカンボジアでの体験にて、
男はまた、海外の魅力によりいっそう
惹かれていった。
男とK氏はその後マカオ・香港・マレーシア・
コソボなどで法人を立ち上げ、
ビジネスや投資を展開していく。
海外法人の運営は敷居が高いという
イメージがあるものの、
実際にやってみると、
実はそれほどでもない。
設立業務や毎年の決算業務は、
現地の会計会社が一括して引き受けてくれるので、
英語によるやり取りは発生するものの、
運営にかかる労力は思ったほどではない。
男は単独で立ち上げたもの、
K氏と立ち上げたものも含め、
最大で日本法人3社、海外法人5社のオーナーとなり、
ビジネスおよび投資活動を行ってきた。
今回のオンラインセミナーでは、
日本法人および海外法人の活用について、
過去8年間で時には痛い思いをしながら
経験してきたことを、
2時間かけてきっちりとお話させていただく。
今回はたまたま男とK氏が
日本入りしていることもあり、
東京都内のセミナーを借りて開催。
いつものとおり
zoomによるオンライン参加も可能だが、
今回は会場にて直接受講することもできる。
<セミナー名>
「海外ひとり社長」のための
大人の経営学(国内・海外法人活用編)
ディープバージョン
<日時>
2019年1月25日(金)17時〜19時半
セミナー:17時〜19時(16時半開場)
質疑応答:19時〜19時半
<会場>
東京駅付近の会議室
※zoom参加も可能
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