『一度も雇われなかった男ー。』
この響きに憧れ、
その称号を手にしたかった男。
もう大学は卒業してしまったため、
『学生起業家』の称号は手に入れることができない。
男はある日、ある説明会の情報を入手した。
『インターネット業界で未経験でもゼロから起業できるチャンス!』
という触れ込みに飛びついた。
早速、説明会に参加。
説明会の主催はN◯◯という設立数年の
非常に若い会社だった。
会場には20名ほどの社会人が参加していた。
当然、22歳の男よりも皆歳上。
中には主婦らしい女性もいた。
少し小太りのにこやかな営業マンらしき男が、
手際よく事業内容を説明する。
当時(1999年)、Yahoo!を筆頭に、
Goo、Excite、infoseekなどの大手ポータルサイトが
にぎわう一方で、小規模ながらも専門分野に特化した
「特化型ポータルサイト」というものが乱立していた。
まさに、「ポータルサイト戦国時代」だった。
ーポータルサイトとはー
数多くのホームページを電話帳のように整理して
並べたWebサイト。
当時はまだ検索エンジンの技術が発達していなかったことから、
人力でホームページを調べ上げ、
整理して陳列するという方法が取られた。
良質なホームページの情報が数多く集まった
Webサイトは重宝され、人々がブックマークし、
ホームページを探す時にまず最初に訪問したことから、
入り口(=英語で「portal」)となるWebサイトということで、
「ポータルサイト」と呼ばれるようになった。
N◯◯社の営業マンは説明した。
「うちのポータルサイトには、
現在、月間1,000万ページビューのアクセスがあります。
皆さんがやることは、
うちのポータルサイトに掲載する広告を
取ってきていただくことです。
なんと、報酬は広告を取った時だけでなく、
顧客が広告を掲載し続けている以上は、
継続的に一定の手数料を取ることができるという、
まさに画期的なシステムなのです!」
男は確かに画期的だと思った。
大学時代にネットワークビジネスについて
人生で初めて知り、説明会に参加していた時。
ネットワークビジネスの成功者達は口を揃えて言った。
「このビジネスは年齢や能力は関係ありません。
やるかやらないかだけです。
一般的なビジネスでは成功すればお金は入ってきますが、
必ずしも時間のゆとりがあるわけではありません。
このビジネスで結果を出せば、
時間とお金だけでなく、仲間も手に入ります。
こんなビジネスはこれ以外にはありません!」
この言葉を聞いた時、男の脳裏に衝撃が走った。
(確かに、そんなビジネスは他に無いな。)
本当は時間の余裕もある事業家は当時も
沢山いたのだろうが、
ビジネスの知識・経験が殆ど無かった
男にとっては、お金と時間の両方を手に入れられる
ビジネスは、これしか無いように思えた。
また、「金持ち父さん貧乏父さん」の本が
日本に上陸する前であり、
「ビジネスオーナー」的な考え方が浸透しておらず、
まだまだ日本人はあくせく働いてるイメージが強かった。
一度はネットワークビジネスで身を立てると決意し、
就職の内定も断ってしまった。
その後、お世話になった大人の方々に引き止められ、
大学卒業間際にネットワークビジネスをやることを断念した。
結果、卒業後は世間的に見ればプータロー。
そんな男にとって、
ネットワークビジネス以外で権利収入が取れる話は、
とても興味深いものであった。
この代理店ビジネスの権利を獲得するためには、
約90万円の加盟金が必要であった。
この90万円を支払うことで、
営業用のノートPCが付与され、
また本部から継続的なサポートを受けることができる、
という説明だった。
貧乏学生生活を送り、
大学を卒業したばかりの男には、
当然ながらそんな貯金は無い。
ただ、分割払いができるという。
5年間の「ビジネスローン」というやつだ。
分割払いの場合、1ヶ月2万円ずつ払っていけば、
5年で120万円。
利子分は高くなってしまうが、
営業マン曰く、
「1ヶ月で1件でも成約が取れれば、
2万円は支払えますよね?
皆さん、1ヶ月頑張って1件も取れないということは
ありえませんよね〜?」
今思えばこれはなかなか上手い営業トークだった。
本来、この仕事1本で食べていこうと思ったら、
月間何件も契約を取らないといけないのだが、
元を取れるかどうかという観点で言えば、
確かに月1本契約が取れれば良い。
男が学生時代に数多くこなしたアルバイトの中で、
新聞の広告欄を売るというものがあった。
名刺1枚サイズぐらいのスペースが4万円。
電話帳を使ってひたすら電話をかけまくり、
予め決められたトーク内容で説明する。
無言で電話を切られたり、
時たま罵声を浴びることもあったが、
根気よく続ければ、
50件に2件ほどは成約することができた。
その経験があったので、
このポータルサイトの広告代理店ビジネスも、
絶対にうまくいくという自信があった。
(楽勝だぜ。)
また、この代理店は全国で募集しているものの、
地域毎に定員が限られていて、
定員になり次第締め切るということだったので、
男はその場で契約することにした。
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このような駆け引きをしてくる業者に、
ロクなところは無いということを、
男は後で知ることになる。
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男は翌日から営業を開始。
新聞広告のバイトの時のように、
家の中にあった電話帳を引きずり出してきて、
近場から電話をかけていった。
最初にアポが取れたのは、
「海の中道」という美しい海岸線の近くにある、
サーフショップだった。
まだ本格的にシーズンが始まる前だったため、
営業時間中にアポを取ることができた。
10時に店に着くと、
店長らしいロン毛の男性が応対してくれた。
男はまだ慣れない覚えたての営業トークを使って、
ひととおり説明した。
まだシーズン前だったこともあり、
店長は即決することはせず、
幾つかの要望を提示してきた。
男はその話を持ち帰り、
本部に要望を伝えた。
ところが本部からの回答は、
その要望をすぐに実現できるかどうかわからない、
というものだった。
男はここで少し疑問を感じた。
ネットワークビジネスの時もそうだったが、
自分は商品やサービスを売る立場にいても、
大元を作っているわけではない。
つまり顧客の要望を全て実現できるわけではない。
そのような商品・サービスを売ることは、
何か抵抗を感じる・・・。
実際にサービスを販売する立場になってみて、
まさにこのことを痛感したのだった。
同時に、その頃ネットでたまたま発見した
起業家予備軍向けメールマガジンの発行人が、
同じ福岡在住であることを知り、
「会って欲しい」とメールをし、
会ってもらえることになった。
福岡の中心街、天神にある
ソラリア西鉄ホテルのラウンジにて、
発行人のI氏が待っていた。
I氏はあまり身長は高くなく、
サラサラヘアーでレンズの分厚い眼鏡をし、
いかにも博士っぽい感じだった。
I氏はかなりの起業オタクで、
特にネットビジネス界隈のことに関しては、
かなりの知識量を持ち合わせていた。
年齢は男よりも8歳上で、
一度上京してIT関連の会社員を勤めた後、
思うところがあってUターンして
地元の福岡に戻ってきた、
ということだった。
それからは起業を目指す人達に役立つ情報を、
メールマガジンやホームページで発信したり、
コンサルティングをしたり、
自身でも幾つかのネットビジネスを展開して
生計を立てているようだった。
I氏は世間的には大成功していたほうでは
なかったのかもしれないが、
男からしてみれば、
会社に依存せずに自立して生きていくことが
できているという時点で、
雲の上の存在だった。
ひととおりI氏の自己紹介を聞き終わった後、
男は自分の起業に掛ける思いや、
現在の状況について説明した。
例の代理店ビジネスの話のこともI氏に伝えた。
すると、I氏の口から出てきた言葉はー。
I氏:
「それは難しいと思いますね。
50件かければ2件成約する?
根性論じゃないですか。
必ずうまくいくという再現性が無い限り、
ビジネスはうまくいきませんよ。」
自分が今頑張ろうとしていることに対して、
応援の言葉を投げかけてくれると思いきや、
I氏からは否定するような言葉が帰ってきた。
確かに根性論だった。
(でも、営業という職種自体根性が必要だし、
世の中そんなもんじゃないのかな?)
I氏は緻密な根拠をもとにビジネスを
組み立てるタイプで、男は勢いで勝負するタイプ。
両者のタイプは全く正反対だった。
I氏との面談は2時間ほどで終え、
その後も定期的に会ってもらえるということになった。
男はI氏から言われた言葉が、
その後も頭から離れなかった。
(自分は今、根性論で乗り切ろうとしている。
でも、そのために顧客に販売するサービスに、
100%の自信を持てない自分もいる。
この状態で、この仕事が続けられるだろうか?)
男が代理店契約書にサインをしてから、
約1ヶ月が経とうとしていた。
男は今の気持ちを、
本部の担当者に伝えてみることにした。
説明会で説明をしてくれた小太りの営業マンだ。
契約解除についての相談もしてみた。
すると、営業マンの口調は冷たく、
「解約はできませんよ。」
の一点張りだった。
この対応を見て、男の気持ちは一気に冷めてしまった。
このような反応をされると、
こちらも猛反発したくなる。
国民生活センターにも問い合わせてみたが、
クーリングオフの期間を過ぎているため、
契約解除は難しいのではないかという回答。
代理店契約書を確認してみると、
確かにクーリングオフについての説明が書いてあった。
男も契約する時はその気になっていたので、
契約解除は「自己都合』にすぎない、
ということは自覚していた。
今回は大人しく引き下がるしかないな、
と悟った。
ここでこのビジネスを辞めてしまえば、
5年間のビジネスローンだけが残ってしまう。
そして何よりも、
自分で一度決めた道を自ら断念するという、
自ら「敗北」を認めることにもなってしまう。
これは「逃げ」なのか、「方向転換」なのか、
当時の男にはわからなかった。
I氏からは「僕の言ったとおりになりましたね」
と言われそうでシャクだった。
でも、でも、どうしても続ける気持ちにはなれなかったー。
こうして男は、最初に挑戦したビジネスを、
僅か1ヶ月で撤退することになった。
幸い、本部から付与されたノートパソコンは、
自分のものにして良いということだったので、
(90万円でパソコンを買ったと思えばいいか。)
と半分強引に自分を納得させたのだった。。
今では20万円以下で売られているノートパソコンも、
当時は30万円〜40万円するのもザラだった。
それでも、90万円は超高額なノートパソコンだったのだ。
その後、そのノートパソコンでガンガン稼ぎまくり、
お釣りが十分来るようになるとは、
男は予想もしていなかった・・・。
現時点でのITの割合:0%
男の全財産:20万円
男の借金:90万円(5年間のビジネスローン)